どうも、tk橋です。
私たちが何気なく話している日本語。実はアメリカ外交官養成局=FSIの「外国語習得難易度ランキング」によると日本語の習得難易度は非常に高いとされています。(英語を母語とする人が習得するのにかかる期間を元に各言語の習得難易度をランク付けしたようです)
私は以前塾の講師として国語を指導していた経験があるのですが、指導していた立場から見ても日本語は非常に難解です。日本語は日本人同士であればなんとなく伝わることが多いですし、日常会話に支障をきたすことが多くないためか、正しい日本語を使える人というのがどんどん減少していっているのではないでしょうか。かく言う私もまだまだ未熟であり、完璧に日本語を操れているかというとそうではないでしょう。
今回はビジネスマナーと称し、「ビジネスシーンにおいて絶対使わないようにしたいら抜き言葉」についてお話しします。基本中の基本だとおっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、私個人の経験上いまだに誤った使い方をしている人はいます。正しい言葉遣いを身につけ、好印象を持たれるようになりましょう。
ら抜き言葉
「ら抜き言葉」とは、可能を表現する際に用いる「られる」の「ら」が欠如した言葉です。例えば、「食べれます!」「見れますよ!」等が該当します。文化庁によると、「共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねる」とされています。(文化庁HP 国語施策・日本語教育 Ⅰ言葉遣いに関すること より)
上司「この資料どこで読むことができる?」
部下「はい、この資料ならこちらで見れますよ。」
ありがちなシチュエーションを想定してみましたが、このように何気なく使用してしまっていそうな点がやっかいなところです。ら抜き言葉は、会話においてスピード感や親しみやすさをもたらすことが考えられますが、日常や身内でならまだしも国に誤用と考えられている以上、ビジネスシーンにおいての使用は避けるべきでしょう。中には気にしないという人もいますが、ビジネスマンであれば多くの場合適切な言葉を使用することを求められるはずです。
ら抜き言葉を見抜く
ら抜き言葉が何かは理解したけど、どれがら抜き言葉に該当するんだと迷う場合があると思います。
ら抜き言葉か、そうではないかを判別する方法としておすすめなのが、動詞に勧誘表現である「~しよう」を付ける方法です。「~よう」が付けばら抜き言葉、付かなければら抜き言葉ではありません。例を見てみましょう。
可能表現「られる」が付く言葉=ら抜き言葉になってしまう恐れがある言葉
見れます(ら抜き言葉) → 見る(動詞) → 見よう(勧誘) ・・・見られる(可能)
食べれる(ら抜き言葉) → 食べる(動詞) → 食べよう(勧誘)・・・食べられる(可能)
ら抜き言葉にならない言葉の例も紹介します。
可能表現「られる」が付かない言葉=ら抜き言葉にならない言葉
書く(動詞) → 書こう(勧誘) ・・・書ける(可能)
読む(動詞) → 読もう(勧誘) ・・・読める(可能)
このように判別は非常に容易ですので、必ず覚えておきましょう。
ら抜き言葉は果たして本当に誤用か
注意しておきたいのが、言葉は時代と共に変遷しており、現代においてら抜き言葉は一概に誤用とは言いづらくなっているということです。例えば「食べられる」という言葉だけを見ると可能表現、受け身表現、尊敬表現なのかの判別がつきません。
「食べられる」の例文と用法
(何でも)食べられる ・・・(可能)
(魚が猫に)食べられる ・・・(受け身)
(部長がご飯を)食べられる ・・・(尊敬)
( 尊敬語には「召し上がる」も存在しますが、話しが脱線してしまうのでここでの言及は控えます。)
ここで可能表現の「食べられる」を「食べれる」にしてしまえば判別がしやすくなります。ら抜き言葉は誤用と言われつつもこうして考えてみると合理的に思えてきます。
ただし、まだ公にら抜き言葉が正しい表現とされていない現代においてはいわゆる「ら入れ言葉」を用いることが無難でしょう。上記のように「食べられる」が用いられた際は、例文で示したように文脈で判断することが必要です。
正しい言葉遣いで相手に配慮を
ら抜き言葉については様々な議論が交わされています。今後ら抜き言葉が正しい表現として認められる時代が来る可能性も考えられます。過去にとらわれず、時代に合わせることが必要になる未来がくるかもしれないのです。そのため、ら抜き言葉を一概に否定するのではなく、その時々のシチュエーションに合わせた言葉遣いをすることがある種の正解なのかもしれません。
ただしビジネスにおいては、大勢の人とのコミュニケーションが必須です。相手にスムーズに理解してもらい、コミュニケーションを円滑に進めることを念頭に、言葉遣いには細心の注意を払いたいものです。書き言葉でも話し言葉でも、相手に不快感を与えない表現で、教養のない人間だと思われないよう努めることが必要ですね。